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思込みのつおい指向性ある不定期ブログです。(^^v

人車展

宇都宮城跡公園 清明館で

 

2023年12月24日まで

 

明治三〇年代に活躍していた『人車』

企画展うつのみやの人車軌道」が開催されています。

 

何故に人車が当時全国的に広がったのか? そして 衰退していったのか・・・。

 

明治に入って陸蒸気が走る 各地で産業が開花する しかし 当時は主要幹線以外 一般の道は人が歩いて通れても荷車が通れても いざ雨が降ればぬかるみ 物流はままならなかった様です。そこで考案されたのが「人車」です。レール幅が60cmの軌道敷(鉄のレール)を敷き その上で 荷を載せたトロッコを人が押して移動させる。

鉄のレールと鉄の車輪なら転がり抵抗も少ないのでしょう。 動力が馬や牛の時代ですが、人夫は馬や牛以下のだったのでしょうか・・・現在では考えられない労働条件だったのかも知れません。お金を払えば客車に人が乗り人夫が押してゆく。

今、歩いても平坦な処ばかりでは無かった様に思います。

(私メ、小学校低学年の頃の『遠足』は、まさに宇都宮市街から大谷多気山まで歩いて行きました=交通事情は今と全く異なってます)

大谷石や徳次郎石を運ぶため大いに活躍するが 道路が整備され 馬車が通れるようになり 鶴田ー大谷間に蒸気機関走る走る様になると急速に廃しされて行く。

戦後、大谷線も道路が整備されトラックの普及性能向上が期待されると国鉄が手を引き最後の東武鉄道も廃止されます。

 

これは、明治30年代に目を向ければ であります。

 

終戦時の航空写真を見ても東京街道ですらコンクリート舗装だった様です。

大谷を抜ける国道293は1976年頃まで狭くてデコボコな道でした。

今置かれている当たり前の生活環境で当時を測ってはいけないのでしょう 明治30年代に書かれた当時の風景がそれを語っているのだと思います。

 

地図の好きな方 鉄路の好きな方は一見の価値があると思います。