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思込みのつおい指向性ある不定期ブログです。(^^v

ちょい旅 電車で太田へ

突然太田に電車で行くことに・・・

 

何十年ぶりだろう・・( ^ω^)・・・電車 でんしゃ でんしゃ

 

東武宇都宮から栃木に JR両毛線で足利へ 東部伊勢崎線で太田へ

 

久しぶりに載せて頂いた電車は ボタンを押してドアを開ける車両でした。

大昔 JRなら宇都宮より北に採用されていたそれが宇都宮以南で採用されていることに驚く私メです。使えないと困りそうなので 人が使うのをじっと見ていました・・が・・不審者と思われたか・・・;;;;;^ω^;;;;;・・・

また 上の写真 今まで 東京に向かう先頭車が1号車と思い込んでいました。・・

この列車はワンマン 車掌さんは乗っていません。至福警官が乗っているかは知りませんが・・・私服?

 

電車に乗るにあたり 昔なら時刻表と睨めっこも楽しみの一つだったのですが・・

妻曰く「目的は何?」「目的地に向かうだけなら

roote.ekispert.net

これで検索!」

 

・・・嗚呼・・・

で 結局その通りのダイヤで移動している まさにWEBの線路にのっている私メ・・・

まぁ 何時までに到着してね! の 制限付きなので・・・・

でもね 路線図とか時刻表とか見ていると なんとなく わくわくしてきませんか?

移動手段の公共機関かも知れませんが 時間と風景が伴うこれらは 車の移動とは異なる風景を見る事ができるので 私メ的には好きです。

まぁ 毎日通勤通学で混み合う電車を利用されている方々には申しわけないのですが。

究極の移動が「どこでもドア」なら それでも良いのかも知れませんが・・・・

 

東武宇都宮線は新栃木まで 

古い駅舎のままの駅からの放射線状に広がる町「南宇都宮」 

中島飛行機が作った町「江曽島」 

スポーツ処であり大谷から石を運んでいた旧大谷線が接続される「西川田」 

戊辰戦争で官軍の陣が築かれた「安塚

ドクターヘリを持つ独協医大と,何とも興味をそそられるネーミングの「おもちゃのまち」 

旧陸軍壬生飛行場の玄関「国谷」 

かつて街道の要的城下町 春は桜の名処の駅「壬生」 

北に日光連山 南東に筑波山 目の前に広がる関東平野 そんな野州路を想像させる「野州大塚」 

栃木富士産業が在った「野州平川」 

そして

日光線と豪遊する?合流する東武電車の車両基地もある「新栃木

江戸への水運の最北 巴波川を渡るとJR両毛線と合流する「栃木

この駅は高架駅になっているので車窓から巴波川の水路跡も上から見る事ができます。 高いところ走ってますから関東平野を一望できる。

子供のころ木造駅舎を出て大勢して太平山へ行った記憶があります・・・が、既にその面影もありません・・・。

 

栃木からJR両毛線。 一旦改札を出てJR改札を過ぎ上がれば、隣のホーム。

載った車両も「ワンマン」でした

若い娘が運転してました。

私メには想像もできない程 厳しい難関を搔い潜ってそこに居るのでしょう。

電車を操っているキビキビした動作は、そんな事をイメージしてしまった。

 

湘南ではなく 翔南高校を見ながら降下 下がった辺り大平下川連には かつて例幣使街道の関所の様な土塁がありました。何の施設だったのか分かりませんが現在は跡形も無く太平山側は田圃がカインズやカワチ、K’s電気などの大型店舗に変わってました。

その先、左手の森には戦中戦後を通して重要拠点だったと聞く木々に囲まれた日立製作所(現)日立グローバルライフソリューションズ株式会社があります。右の山側に入ると ブドウ団地があります。「大平下

田圃の中を進むと正面に巨大な岩が露出した岩船山が見えてきます。 この山の裏手は「何とかライダー」や「何とか戦隊」もののアクション撮影に使われたと聞きます。現在はあの太陽光畑です。 して その麓にあります「岩船

アニメ映画「秒速5センチメートル」の舞台にもなった?駅

www.cwfilms.jp

左手に三毳山を見ながら東北自動車道路を潜り、すぐ右手奥にこんもりとした小さな山が米山古墳 その西側に在るのが新町薬師堂 そう1600年 関ケ原の合戦を前にあの真田親子の「犬伏の別れ」をしたところだそうです。当時の人は いったい一日に何km進むのだろうか・・・・と 思いを馳せているうちに東武線をくぐり 厄除け太子で有名な「佐野

この駅の北側の給料?丘陵は「佐野城跡」 武将佐野氏が唐沢山山頂にあった山城を出てこの地に平山城を築いたとされます。 この城跡のさらに北に「佐野市こどもの国」があります ここには米国「マーキュリー計画」で使用されるために用意されたロケットが展示されています。

plane.boo.jp

佐野駅は隣接で東武佐野線がありこの線路は葛生まで伸びて石灰を運んでもいました。 近年はトラック輸送が主流となっている様です が 葛生かいわいはその石灰を運んだ廃線がいたるところで見られます。

佐野駅を出ると田圃の中を進み急に山間を抜けます 右手には陶器で有名な栗田美術館があります。 この切通を抜けたところが色々な花で有名な「足利フラワーパーク」です。駅になりました。 

この駅を出て 家並みの中を行くと「足利」です。

南口 何もない・・・

北側には 日本で一番古い足利学校や国宝「鑁阿寺」BANNAJIがあります。

が、東武駅に向かうので南口を出ます。

田中橋から東武足利駅方面を望む・・・・ 田中橋は歩行者は東側を行く様になっていたので中橋に向かいます。堤の上をのんびりとテレテレ歩いてゆくのですが 目的地は見えるのだけど遠い・・・中橋は古い橋で現在架け替え工事中 橋の袂には灯篭があって現代の橋には無い情緒の様なものを感じます

JRは渡良瀬川の北 東武は川の南

東武足利駅にはレンタル自転車があり 上の様な地図もある。

どこの観光地も悩むのは駐車場 天気さえ良ければアシスト付きの自転車でサイクリングで回るのはとても良い発想だと思います。交通量と道幅かなぁ・・・

 

足利からは東武伊勢崎線です。

東武足利駅は高架になってました。

正面にガラスをふんだんに使った顔 東武鉄道もデザインは気をつかってますね!

いえ この車両に乗るわけではありません。いかにも会社が支払うのか嬉しそうに乗り込んでいった中年のビジネスマン シャクですが羨望のまなざしを投げてやりました。

 

地図で見ますと「ペタンコ祭り」の男浅間神社と女浅間神社の間を抜けて行きます。

調べてみますと「ペタンコ祭り」とは300年以上の歴史があり そもそもは「富士講」なる富士山を崇める地場宗教?が「初山講」となり毎年「お山開き」の頃に1歳以下の赤子の無病息災を願い御朱印をオデコにペタンと捺す祭りなのだとか。 どの地方にも赤子の無病息災を願う祭りはあるのですね!

 

野州山辺

ここまで高架線です。 桐生方面に帽子をかぶった赤城山が見えました。駅周辺は宅地化が急速に進んでます。高架線でなければ気が付かない世界かも・・・。 

降下して50号線をくぐり正面に金山を仰ぐ頃「韮川

この駅舎も数少ない昭和初期の建屋だそうです。ある意味金山の裏口

www.tobu.co.jp

東武鉄道のすごいところ 公式サイトで各駅にまつわる紋々を紹介している。

この「韮」ニラという文字が読めなかった漢字苦手の私メには感謝感謝の雨あられです。  知多半田で知り合った方に「螺」の字を苗字に入っている方が居ましたが最初読めずに大変失礼なことをしてしまった事がありました。  

して 旧中島飛行機のお膝元「太田

大昔、電車で来ると、4階建ての技術棟 のこぎり屋根 手前に壁で隠されたテストコースが見え これが見えると降りる準備・・だったのですが・・・すごいですねぇ~~~巨大な建屋がどんどんできてます 昔の面影はどこの絵やら・・・・

して ここも高架になった駅

降り立った感じは 日中なのに街は静か 人も少ない バスの便も少ない・・・あれ?? コロナの影響?

とりあえず 目的地へ歩いて行く事に・・・呑竜さん方面は道が広くなって家並みも新しく明るい・・・変わりましたねぇ~~

行った先で テクシーではなく タクシーを勧められました。 現在は自動車工場のおひざ元 自家用車がメインなのでしょうか・・・

帰り道 旧中島飛行機正門前の伊勢屋さんで360のまんじゅうを買って帰りました。

 

嗚呼でも 久々の電車の旅は楽しかったです。