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思込みのつおい指向性ある不定期ブログです。(^^v

那珂川清流鉄道保存会の

小雨降る中 烏山の北にあります 那珂川清流鉄道保存会 に 行ってきました。

此処には歴代の烏山線や数年前まで千葉で走っていたモノレール等たくさんの鉄道車両が所狭しと並んでいて敷地の外周には幾種類もの軌道敷きがありイベントなどで実車やミニSL等が走るのだとか・・・。

この日もボランティアでしょうか数人の若者が車内清掃したり見学者の案内をしていました。

残念ながら、 私メは全く鉄道の知識を持ち合わせておりません。 が、多分 定期的にメンテナンスをしているのか、ほとんどの車両が屋根の下に在る為か、個々の車両に大きなダメージは感じられませんでした。

事務所の隣には整備されたばかりなのかドイツ製の機関車も保管されています。

 

で、私メのお目当ては上写真の真ん中に写っています軽飛行機です。

むか~~し、飛行機に興味を持ち始めた頃、日本整備士協会で販売していた「軽飛行機の設計法」という パズマニーという方が書いた本があります。つい、『設計』の文字に魅せられて買ってしまいました。

(右が当時買った本 ボロボロ (^^;;;)

この本、国産初のジェット練習機『T-1』の設計者でもあります内藤子生氏が監修され その冒頭の部分で「難しいことをとても分かり易く・・・」と書かれていました。「へぇ~~そうなんだ」と手にはしたものの やはり基礎が出来ていない私メには難しい本でした。(^^);;;;; でも、挿絵も多く、和訳されているので、何故低翼機なのか、何故矩形翼がいいのか等々興味本位で分かった様な気にさせてくれる本です。

 

かなり 寄り道してしまいましたが (^^);;;;;

 

ここに置いてある この飛行機こそが 正にパズマニー氏が設計したその機体でした。

本に書かれているものは その最初のPL-1ですが, ここにある機体は その派生型PL-2です。

PL-2は東南アジアでも飛んでいました。 お隣台湾(中華民国)ではPL-1の派生型を初級練習機として採用され 漢翔航空工業(AIDC)というメーカーがライセンス生産を行っています。また当時の機体が保管展示されているようです。(用廃ハンターUnikun氏のBlog勝手にリンク)

wrecks.hatenablog.com

で この機体は 

エクスペリメンタル航空機連盟

 によりますと 静岡の『宮内製作所』が所有していたそうです。

某hp「飛行機雲」には1971年の名古屋での航空ショーに「ミヤウチ・パズマニー」で展示されたとありました。

 

この機体 近くで見ると 相当な熟練工が製作された様に思われます。

単桁構造の主翼 前側は皿のリベット 桁から後ろ側は丸リベットが打たれていました。 綺麗に直線等ピッチ 無論打痕も凹みも全く無く 実に丁寧な仕事をされている様に見えます。

独特の翼断面形 低速飛行でも十分に揚力の得られる形? 

エルロンやフラップのヒンジは蝶板タイプを間隔を空けて下面側についていました。

フラップは手動レバータイプだったと思います。

 

水平尾翼は全遊動型 胴体にはニュートラル位置のマークが見えます。

こういう動翼は 多分 しっかりした組み立て治具上で作らないと 正確に作ることが出来ないと思います。 尾翼の中に入っていると思われるトルクチューブは打鋲が難しいでしょうね・・・多分。

 

エンジンカウリングの点検蓋やラッチ取り付けも実に美しい!

おそらくは 野外係留されていたのでしょうか上面は退色が進みプライマーが見えています。下面は少し苔の様なものも見られます。

脚柱は鉄の様で アウターは真っ赤にさびてますがインナーはピカピカでした。

右脚柱はフルボトム状態でちょっと危険かなぁ・・・タイヤは消耗品ですから交換でしょうか・・。

 

翼端の燃料タンクはFRP製の様です。樹脂の劣化がだいぶ進んでいる様です。削って盛り付ければあるいは復活するかもしれませんがぁ・・・。

主翼付け根 ここにはフィレットという整流の為のものが付きます が 搬送時の分解で おそらく錆びて機能しなくなったねじ頭を切り落としたのか、 取り付けられないのだと思います。他の外表面にある鉄ねじ類も錆が進行していました。これらは無論消耗品ですからNUTともに交換できればと思うのです・・・が、航空機部品は単価が高いです。

ジュラルミンマグネシウムは腐食します。鉄は錆びます。風貌ガラスや樹脂類は劣化します。これは自然の摂理です。

でも よく 日本に1機しかない この貴重な機体が形を保っているものだと感心しました。

なにより 身近で見る事で 工作技術が素晴らしさが分かり感動すらしました。

やはり 本物は実際に見るに限ります。飛んでいるところも見たかったなぁ・・・。

 

 

 

追伸

ここには もう一つ 

戦時中にKi84疾風生産の為に作られた中島飛行機宇都宮製作所があります。

ここでも 戦後を生きていくために 鍋釜や鉄道車両修理から始まり、航空解禁後 富士重工 宇都宮製作所となります。航空と鉄道車両に分かれて折からの経済発展の波に乗るのです。航空がメンターやT-1、FAI世界高高度記録で花盛りの頃 鉄道部門も必死でいろいろな車両を作ったと聞きます。多分その頃に作られたのでしょう 特殊な車両がここにありました。

ここの関係者に 下の車輌を教えて頂きました。

この車両は「軌道モーターカー」というそうで 木曽の御嶽山麓で資材運びや材木を運びに働いていたそうです。引退後 地元の人やボランティアの方々に守られ時を過ごしていたそうですが こちらに引き取られて来たそうです。正に目立たないけど縁の下の力持ちとして活躍していたのでしょう。 とても 綺麗な状態で保存されていることに感動しました。

考えてみれば 昭和30年代頭とは 自家用車など皆無に近く 走っていても坂道でエンコして止まっているか押してもらっているか 国道だって全てが舗装されているわけではないそんな頃です。 古い先輩方が言うには「一生のうちでせめて『ラビット』くらいは手にできるといいなぁ~」と本気で思ってた頃だそうです。

その時代のものが「今そこで出来上がりました」状態で居ることにカルチャーショックすら感じます。 大先輩方が普通にそこで立ち話している様な幻覚さえ覚えます。

 

これからも ここで大切に保存されているといいなぁ と 切に思いました。