デカールが・・・使えませんでした。
よって 手書きにて 完成!
あっ!・・・あれ?
ラジエーター忘れました・・(^^;;;
方向舵と昇降舵は可動にしました。
主翼の形が面白いです 支柱取り付け部が翼厚が一番厚い
Do18も同じでしたね。
1921年にチェコソロバキア生まれ
Googl検索すると 元々BH-1というスポーツ機からの発展型とか・・
この時期、自国製航空機への期待は大きかったことと思います。
まだまだ複葉機biplaneが全盛の時代に単葉monoplaneというのは大きな挑戦だったと思います。
第二次世界大戦前までこだわり続けますが 一旦複葉機に戻ってから他国のライセンス生産に・・・戦後もライセンスおよび自国改造型を生産続けS199(Bf-109にユモエンジンを載せた機体などありましたが 航空部門はLet社に トラック部門が残り歴史の波の中生き残り現在も活躍中とか。
1921年 大正10年 当時の日本の航空界は
まだまだ暗中模索、貪欲に世界の航空技術を吸収していた時代と思われます。
中島飛行機も中島5型が世に認められ航空機業として出だしたころ。
この後の甲式4型(ニューポール29C)の大量生産で中島飛行機は躍進します。
考えてみれば第一次世界大戦 航空機が大きく発展する時代。
フーゴ・ユンカース博士は既に全金属(ジュラルミン製)の航空機を築き上げ
この時期 無尾翼の大きな旅客機の構想まで立てていた。
ゆえに
映画「風立ちぬ」では排他的部下が居て・・・でも なんらおかしくなかった訳です。
1月 1機完成!