YHU-1D
HU-1Bシリーズの搭載量を 例えば 兵士7名 から 14名へと広くしたキャビン等・・
この後に続く基本形が出来上がります。
Webで検索しますと 1961年8月に初飛行しエドワードAFBで各種試験
1963年にUH-1Dとして米陸軍に採用 となってました。
7機作られた試作から#2の60-6029で記録飛行に挑みます
機体はBell社で記録飛行のための改修を受けた様です。
それは突起物や穴を塞ぎ不要なモノはドライブシャフトカバー、42度ギアボックスカバー、テールスキッド、エアインレットフイルター、ローター上のスタビライザーはてはドアの取手まで外され軽量化されてます。
写真では内装も付いてません そこに巨大な増漕が取り付けられ
1964年9月27日 マイケル・N・アントニュー テストパイロットが一人乗り込み
エドワードAFBを離陸東へ アーカンソン州のロジャーズ飛行場までノンストップで飛び
2170.7km の回転翼無着陸 飛行距離として
FAI公認世界記録を達成します。
その後 60-6029 は 日本でも採用された UH-1HのプロトタイプYUH-1Hに改造されます。
ハセガワ72はこの機首部分がどうにもペチャンコで ここを何とか出来れば
とても好いのですが 大昔のキットとしては頑張った方だと思います。
後ろに写っているのが Aero社の「~~の様な」的イメージキット
(現在 箱絵だけ超最高のMisterCraft社から発売されているとか板とか)
私メは技量が無いのでパテを盛り付けては乾かしまた盛り付けを繰り返し
少し削っては また盛り付けをくり貸し何とかそれっぽく
でも、205にするには私メには限りなく無理があるため
Model 208 ツインヒューイにしてみました。
この機体も YHU-1D試作機7機の内の1機です。
60-6030 つまり 3号機だった様です。
T72-T-2モデル217ターボシャフトエンジンを2基並列に並べギアを介して1本のシャフトでトランスミッションにパワーを伝える 後のツインパックの始まりです。
海上を飛ぶヘリは万が一でも安全に最悪海上に降りられなければなりませんから
海兵隊や海上を飛ぶ事を生業としている人には単発は敬遠されてたのでは・・・
1965年4月に初飛行しています。このままの形で米海軍塗装の絵がありましたが 結局 洗練された Model 212を待たなければならなかった様です。